どうも、育児関連の記事を2年以上書いてる割に炎上ネタを一本も出せない甲斐性なしブログのパパラボにようこそ。

今日も毒にも薬にもならない話を書こうと思います。

先日、3歳の息子のジュニアと風呂に入っていたときのことですが、初めて「死」を意識する会話をしました。きっかけは、誕生日と月の概念を教えていたことでした。ジュニアの誕生日は12月、12月が終わるとなぜか1月に戻る、そしてまた12月になったら誕生日がくる、するとまたなぜか1月に戻る・・・あとはずーっとその繰り返しなんだよ、ということを教えました。

だいたい概要を理解したジュニアはこんなことを聞いてきました。

ジ「くりかえしはいつおわるの?」

私「そりゃ死んじゃったときだよ」

ジ「しんじゃったらどうなるの?」

私「お墓に入って、いなくなっちゃうんだよ」(・・・浅い説明)

ジ「しんじゃうのやだー」

私「大丈夫だよ、お父さんとかお母さんの方がずっと先に死んじゃうから」

ジ「えー、おかあさんさきにしんじゃうのやだー」

私「大丈夫だよ、そのときは君には奥さんとか子どもがいるはずだよ」

ジ「いやだーいやだー、新しいお母さんイヤだー、」(ここでポロポロ泣き出す・・・)

最後は私が「奥さん」といったことを「新しいお母さん」と誤解していますが、いずれにせよ、身近な人がいつかいなくなることを知って底に対して初めて拒否感やら悲しみを覚えたようです。

まったく別ですが、とてもジュニアが仲がいい友達とお分かれした話、以下のようなエントリを書きました。

3歳の息子の親友とのお別れ

幼いと目の前のバナナを誰かにパクっと食べられたときの悲しみや喪失感は感じることは出来ても、未来に友達がいなくなる、ということに対してはうまく把握できず、悲しむこともできない、ということを書きました。自分自身が、季節を越え、年を越え、イベントを越え、という経験があまりにも少なく、この先に広がる世界や人生を想像できない、ということだと思います。

それが、4歳を前にしてなんとなくイメージ出来るようになってきたようです。じぶんのお母さんが自分より先にいなくなってしまうということがかなりショックだったらしく、お風呂の中で顔をくしゃくしゃにして、「やだやだ、おとうさんとおかあさんといっしょにしぬがいい」と言い続けていました。

かわいそうだったので、「よし、お父さんもお母さんも野菜もご飯もたくさん食べて元気でいるから、ジュニアも野菜も残さず食べてよく寝るんだ!」といったら、泣きながらコクコクうなづいておりました。

見ててかなり切ない気持ちになったのと同時に、なんとなく昔を思い出し、親が自分より先に死ぬんだということを認識して絶望的な気持ちになったことを思い出しました。幼い頃からそれこそ結構最近に至るまで、何度も親が先に死ぬということを認識しつづけていて、今では、そのことをなんとか受けて入れている自分がいます。

きっとジュニアもこれから歳を重ねるにつれて、こういった事実を受けれ入れていいくことと思います。それと同時に、私も、ジュニアがこういったことを淡々と受け入れられるくらい大人になるまで、長生きしなきゃ、という気持ちが湧いてきました。

健康第一!

というわけで今日はこの辺で。



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3歳児と死生観