息子のジュニアには、保育園でとっても仲良しの男の子、Aくんがいます。その子について昔こんなエントリを書きました。

出会いと別れと切ない気持ちと

結構前から、その子が引っ越してしまうことは分かってはいたのですが、いよいよその引っ越す日がやってきました。

保育園に入って間もない、まだ上手にしゃべれない頃からの仲良しで、いつも一緒でした。朝着くと真っ先に彼がいるかいないか確認します。家で保育園でどう過ごしたのか聞くとほぼ100%Aくんの話が出ます。とある日に、Aくんと二人で背中合わせで積み木の箱にすっぽり入ってたところを目撃したこともありました。

そんな二人が、離れ離れになることを知ったらどれだけショックを受けるんだろう、とかなり心配しました。その日が近づくにつれて「いつこのことをジュニアに伝えようか」と悩みました。あんまり事前に言っても、引っ越す日までどう過ごすかが不安だし、直前すぎると今度は別れを惜しむヒマがなくなっちゃうし・・・、などとぐだぐだ考えていたのですが、意を決して引っ越しの日の一週間前に伝えることにしました。

私「ジュニア、聞いてくれる?」

ジ「ん?」

私「Aくんなんだけど、遠くにいくことになって、ジュニアと一緒の保育園で遊べるのは来週でおしまいなんだよ」

ジ「なんでとおくにいくの?」

私「Aくんのおとうさんのお仕事でそう決まったんだよ」

ジ「へーー」

私「だからもう保育園では一緒に遊べなくなっちゃうんだよ」

ジ「へーー」

この後も色々やりとりしたのですが、あんまりピンときてない感じでした。一方Aくんの方も、私がジュニアに伝える前に妻が保育園で話したときには「ぼく、今度新しい保育園いくんだー」という感じで、こちらもまたお別れに対してピンときてない感じでした。

つまり別れを惜しみ悲しむというのは、3歳児にはあまりない感覚らしい、ということが分かりました。

「別れを悲しむ」という感情は、大きくカテゴリ分けするなら「失うことを悲しむ」というジャンルに入ると思いますが、ジュニアくらいだと、目の前のバナナをお父さんにパクっと横取りされることに、「失う悲しみ」を感じる事は出来ても、もう少し緩やかな時間軸で発生する「明日から友達が保育園に来なくなる」ということを「失うこと」として認識する事はまだできないようです。

私や妻からAくんとの別れを伝えられたジュニアは、「Aくんは違う保育園にいく」ということを咀嚼する事なくそのまま理解したような感じでした。

お別れの当日には、保育園で小さなお別れ会があったそうです。先生がみんなにAくんのお別れの事を説明しているときに、突如ジュニアが口を開き「せんせい!Aくんはべつのほいくえんにいくんだよね!」と言ったそうで、ジュニアの頭の中には間違いなくインプットされていたようでした。

私としては、ジュニアを保育園に連れて行くと、Aくんがジュニアがきたことを飛び跳ねて喜んでくれて、笑顔でジュニアを迎えて、手をつなぎ部屋に入っていき、一緒に遊び始めるところを2年間毎日のように見てきたので、そんな様子が、これからの送り生活では見られなくなるのかと思うと、とてもとても寂しい気持ちになるのですが、それは色々な経験をして「別れ」ということがどういうことか分かっている大人ならではの感情なんでしょうね。

 

Aくんが引っ越してしまった後の最初の登園日。保育園に着くと、それまでは必ずAくんの靴の有無を見て「あ、今日はAくんがいる」とか「まだきてない」と言っていたのですが、その日はジュニアはそのセリフを言いませんでした。私は心の中で「あーやっぱり分かってるんだな〜」と思い、このことを妻に伝えました。

その夜、妻がお迎えにいったときにはジュニアはこう言ったそうです。

「きょうAくんおやすみだったの」

それを聞いて、妻はそっと涙したとか

せつなさを胸にきょうはこの辺で



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3歳の息子の親友とのお別れ

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